fuurow’s blog

散文的自叙伝

1.発病、そして…解雇

2001年8月


静岡県東部のある地方都市。

 

小さな建設会社の事務所で、椅子に腰掛けている年配の太った男と、立ったままのメガネをかけた長髪の男が向き合っている。

 


「君の都合もあるだろうがねぇ~…。会社の都合もあるのだよッ」

 


ギョロリとした眼球で睨みつけるように見上げる太った男が、その口調を徐々に強めながら言う。


医師からの診断書を目の前にいる社長と呼ばれるその男に提出した結果がこれ。


クビ…か


ぼんやりとそう思いながら事務所を後にするメガネをかけた長髪の男。


その男の名は遠藤茂。

36歳。

私の相棒である 。


その病名はパニック障害


相棒は今までに何度か発作に襲われていたのだが…


自分が現場代理人を務める工事現場で激しい発作を起こし昼過ぎに早退したのが一昨日。


治まらない体調不良と拭えない得たいの知れない恐怖感から妻を伴い心療内科に行ったのが昨日の午前中。

 


「閉鎖的な環境下で、何かしらの条件が整った時、蓄積させてきた不安と恐怖の感覚を脳が勝手に再生させパニック状態に陥る」

 


そう医師から説明された相棒。
確かに思い当たる節があり納得できたが、治療にはまず1ヶ月の自宅療養が必要とのこと。

数種類の薬が処方され、定期的なカウンセリングを受けるため通院することになった。

相棒は埼玉県浦和で生まれ、父トシオの出身地である青森県野辺地の保育園に入園。
その3年後、大人の事情により小学校入学のタイミングで上京。


渋谷区三軒茶屋で暮らしはじめたが、父トシオの姿はなかった。


強度のアルコール依存である父トシオが直接的な原因なのかは定かではないが…


もしかすると…母タエが生活の改善をはかり「別居」を選択したのかもしれない。


母タエ、兄との三人暮らしは、相棒にとって少しは快適だった。
なぜ「少しは」なのかは、相棒が日常的に兄から言葉と暴力による「いじめ」を受けていたから。


三軒茶屋での暮らしは短く、父トシオとの同居が再開し、相棒が小学1年生の三学期を迎えるタイミングで新宿区筑土八幡に引っ越し遠藤家四人家族の暮らしがスタート。


相棒が中学1年生の5月に文京区関口の借家に引っ越すが転校せず、卒業し都立高校に進学校するが夏休み前に自主退学し、神楽坂喫茶店「ジョンブル」で働きだす。

その後、飲食店や酒屋、サラリーマンなど職を変えながらバンド活動を継続。都会人として育った。


東京で結婚後に発症した妻の喘息療養のため長期ローンでマンションを購入し、勤めていた製版会社とギタリストとして在籍していたインディーズ・ロックバンドを辞め、この地に越してきたのが10年前。
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そして今、妻と小学三年生の息子と三人暮らし。

パニック障害

この病気の発症が相棒のこれからの人生に想像すらできない大きな変化をもたらしてゆくこととなろうとは…


しかし…


この先何が起きても…


私は…それをただ静かに見つめてゆくしかない。