fuurow’s blog

散文的自叙伝

2.自宅療養

薬のせいだろうか…


霧がかかったような意識の中を彷徨ような相棒の自宅療養がはじまった。

 

不眠症で夜眠ることがなかなかできないことから処方された睡眠導入剤


その薬のおかげで確かに眠れるのだが、強引に眠らされるせいか目覚めがとても不快。

しかし、自宅療養という仕事からの「強引な脱却」は意外な効果をもたらす。


「もう、あそこに行かなくていいんだ」

という思いが心のどこか一部分を開放し、療養3日目の夜には睡眠導入剤を飲まずに心地良い眠りに落ちていった。


何ヶ月ぶりの快眠だったろう…


相棒は夢も見ずに…本当にぐっすりと眠った。

 

睡眠導入剤は必要なくなったが、朝・昼・夕と日々、3回飲むの薬の副作用で食欲はなくなり痩せはじめ、日に日に体力と筋力が低下してゆく。

 

薬を飲んではいるのだが軽い鬱状態に陥ることがある。


すべてに悲観的…


トイレさえ面倒くさい…


社会から取り残されたようで…

「このまま死んでしまうのだ」と天井を見ながら漠然と思ったりする。

これといってすることもなく…

その日1日を…ただただぼんやりと生きるだけの毎日…


だんだん当たり前の日々が遠くなってゆく…

 

パニック障害は脳の伝達物質のイレギュラーが引き起こす病だが、精神のコアな部分にも大きな影響をもたらすようだ。

鬱状態のときは「死にたい」と思うものの、激しい発作を起こすと「死んでしまうかも…死にたくない」と思い、その矛盾を相棒自身説明できないのだ。

 

数週間後のある日。

 

軽い鬱状態の相棒はドクターに質問する。

 

 

「先生、僕は作詞作曲してバンドもやってるんですが…音楽や詩は現実逃避でしょうか」

 

 

相棒がロックに目覚めたのは小学六年生の頃。
父トシオに買って貰った質流れのモノラル・ラジカセの影響。
今もオリジナル曲中心のインディーズ ロック・バンド「50/50」でリード・ギター兼ヴォーカルを担当している。

 

 

「遠藤さん、それは違いますよ。音楽や詩は現実逃避ではなく芸術なのですよ」

 

 

ドクターのその言葉に、疲れきっている心が救われ癒されるようだったが…


すぐに「ああ、オレは、そんなこともわからなくなってしまったのか…」と、脳と心のバランスが崩れた自分への情けなさに悲しみの涙を浮かべた。

そんな相棒ではあるが心の調子が良い時もある。


ある日。


一緒にバンドをやっているドラマーから携帯にメールが入った。

 

 

「お加減いかがですか?少しゆっくりして、また音、出しましょう」

 

 

「今日は気分がとても良いです。日はまた昇りましょう。そして、花は咲き鳥達は歌い羽ばたこう」

 

 

そうロック詩人らしい前向きな文を相棒は返信したのだった。


そして、自宅療養をはじめてから1ヵ月が過ぎるころ。


予想通り会社は「病気による勤務不可能」を理由に相棒を解雇。


それも当然といえば当然。
失業者となってしまった相棒だが、自己都合による退職より失業手当の給付が早いのが救いだった。


薬を服用してはいるものの、いつも何かに見られているようで外出を嫌い避ける相棒。

特に人が多く集まる場所は苦手で、そう長くはいられない。


いつも飲む薬以外に処方されている発作止め薬を忘れた時が最悪で…

 

それはもう怖くて怖くて…


不安で不安で…


いてもたってもいられなくなる。

 

治る病気なのだろうか...

 

なぜか一生付き合うハメになりそうな気がする相棒だったが、それでも病はじわじわと回復しているようで、自主的に少しずつ薬を減らしてゆく。

 

速度の緩やかな回復…


社会復帰できないまま…


3ヶ月くらい経ったある日のこと。


予定通り病院に行くと、その日はあいにく担当のドクターが不在。

代わりの若い男性医師と話す。


それがまた心のこもっていない適当も適当。
今の心の状態や症状を「治りたい一心」で一生懸命説明するのだが…


「ふんふん」と頷くその医師の表情から見てとれる「それで?」「だから何?」…


明らかに「他人事」でしかない対応。


怒りにも似たうんざり感と医療機関への失望から、その日かぎりで通院を止める相棒。


この判断が最良なのかは解らないが…


もたらされた「通院と薬への依存を断ち切る」という結果は未来への変化につながり、また、「医師やカウンセラーとの相性が病気の回復を大きく左右するのかもしれない」という考えを知識として相棒に根付かせたのは確かである。


そんな自宅療養中の相棒の心を何よりも支えているのは妻ではない…


そう、元気に明るく笑うひとり息子。