3.社会復帰
翌年の二月。
軽い発作の兆候や、得たいのしれない恐怖感や漠然とした不安感は消えはしないが、社会復帰を意識した相棒はフォークリフトの資格取得を思いつく。
確かに資格は就職に有利。
フォークリフトには以前乗ったことがあり、講習を受けるとすんなり取得できた。
失業手当の給付も終わり、生活費を稼ぐため求人広告を出していた自宅から車で30分ぐらいの食品製造工場の入出庫フォークリフト・オペレータに応募し、四月後半からアルバイトとして働くことになった。
初出勤当日。
出勤時間より少し早めに工場に着いた相棒。
既に背の高い青年と細身のメガネを掛けた読書が好きそうな若い女性が事務所の前に立っている。
聞いてみると二人とも今日からのアルバイト。同じ求人広告を見たと言う。
日中の仕事はあまり複雑ではなかったが、当日の配達を終えたトラックが帰社した後、翌日配達分を積み置きするまでが仕事。
初日から残業。
疲れはて…ようやく帰宅したのは夜10時過ぎ。
「いったい今まで何をしていたのよッ」
その妻の言葉にカチンときた相棒だったが、一回深呼吸をしてから「仕事だよ」と答えた。
この日から、捨てた土木作業員の顔の代わりに、アルバイト遠藤の顔を持つようになった相棒。
帰りは遅いが拘束時間の長さは自給計算の給料に反映され「これで借金も一気に返済できる」と、おおいに働く。
自称ロックミュージシャンの相棒。バンド活動は結構カネがかかる。
その運営費として給料から2万円抜いた20~25万円を妻に渡していたのだが、突発的に発生した香典代を言い出せずに「少しくらいなら」とサラ金から借りてしまったのが6年前。
そのお手軽さから冠婚葬祭に必要な金がサラ金から捻出され、更には困ってる友人に貸す金もわざわざサラ金から借りるといった有り様。お人よしを越えた超特大場外ホームラン級のバカな相棒。
結婚する前も給料を当時の彼女である妻が管理していて、いったい自分がいくら稼いでいるのか一切知らない。
金銭感覚が「ズレている」というより、まったくといっていいほどカネに興味感心がないのである。
仕事の休憩時間には同じ出社日の三人で楽しく会話し、すべてが順調に進んでいるように思えた。
そんなある日のこと。
アルバイトのメガネを掛けた若い女性と雑談していた相棒。
つい「オレ…パニック障害でさ…前の会社クビになってんだ」と喋ってしまった。
パニック障害という病気の存在を知る人は少なく、鬱病と同様に精神病の持つ「頭がおかしい人」とか「気が変になった人」というイメージが先行している。
その間違った認識から奇異の目で見られ、偏見を持つ人達からは敬遠される。
実際…
「この人、脳患いなのよ。よろしくねぇ」
まるで見世物のように相棒のことを妻が他者に紹介すると、少し引いて醜い物を見るような目を向ける人が多くいた。
うっかり口を滑らせ「しまった」と思う相棒に「私も…軽い鬱で病院行ったことあるよ」と、彼女は小さく笑いながら優しく話してくれた。
この「きっかけ」で、自分より15歳若い彼女を相棒は「おねぇ」と呼ぶようになり、休憩時間に会話する機会が多くなってゆく。
おねぇは地元出身。
園芸に関する専門知識を学び、地元にあるバラ農園に就職したと言う。
「自分のバラ農園を持つ」という夢を描いていたが…
その就職先でのうんざりするような人間関係に悩まされるようになったと言う。
日々、迫害されるような嫌がらせに合い、軽い鬱状態に陥り退職したとのこと。
「だからね…私には…もう何もないの。な~んにもね…」
口癖のように渇いた声で何度もそう言うおねぇ。
それを聞くたび、せつなさで胸が一杯になるの相棒。
夢を失ったおねぇに、パニック障害の男が説得力のある気の聞いたアドバイスなどできるわけもなかったが、意外にもロック好きな彼女に自分が若い頃から聞き続けている音楽の話をしたりCDを貸したりする。
おねぇも自分の好きなアーティストをいろいろ教えてくれたのだが…
やはり15違う歳の差の影響は大きく、そのほとんどが知らないアーティストばかり。
唯一、相棒が知っていたのは有名な力士と同じ名前の「キリンジ」だった。
だが…歳の差に関係のない不思議な共通点があった。
会話しているうちに……
それは「オリジナル・ラブ」の「接吻」という曲が、お互いの好きな曲の中にあったのである。
名曲とは色褪せることなく時代を超えゆくのだろう。
パニック障害で社会から排除された男と…
会社での嫌がらせで軽い鬱状態になり退職せざるを得なかった女…
上手に人間社会に馴染めず…
邪魔者としてはじかれたエイリアンのような二人に「不条理と戦う同士」として友情が芽生えはじめる。