4.再び病みはじめる心
社会復帰とはいえ、腰掛程度のアルバイト。
「家族がいるのだから」と、正社員としての再就職を視野には入れている相棒なのだが…
おねぇといっしょに働く楽しい順調な日々が続いてゆく。
やがて、働きだしてから数ヵ月が過ぎた初秋。
おねぇが「そろそろイイ時期かも」と、相棒より先に正社員としての雇用先を求めバイトを止め、二人が会う機会が少なくなっていった。
その頃…
自宅のポストに投函される自分宛の何通もの請求書と、税金未納に対する差し押さえ通告書に相棒は頭を悩ませられていた。
それらを妻に渡しても、そのままポイッとテーブルに置くだけ。
それは次の月も…
また次の月も変わらない…
そんなある休日の昼過ぎ。
「気晴らしに散歩でもするか」と思い、自宅マンションのエントランスへ向かう相棒。
そこですれ違ったマンション管理組合員の1人に呼び止められる。
「あッ、遠藤さん、ちょっといいですかぁ…あのぉ~…管理費の滞納がねぇ…かなり増えてきていますよ」
「えッ?」
「全額とまでは言いませんけど、早く入金して少しでも減らして頂かないと額が大きくなるいっぽうですから…こちらとしては法的手段を取るようになりますよ」
「はッ?ちょっと待ってください。管理費…滞納してるんですか?カネの管理はすべて妻に任せているので…ん~ちょっとわからないんですけど」
「じゃあ奥さんに言ってくださいよ。本当に…このままじゃマズいですから…じゃッ、失礼」
管理組合員は、かなりのウンザリ感に怒りを混ぜ合わせたような表情でそう言うと、用事があるのか足早にマンションを出て行った。
その夜、妻に珍しく怒りながら強い口調で言う相棒。
「管理費の滞納ってどうなってんだよッ。いっぱい来ている請求書とかさッ…オレはちゃんとカネ入れてるし、病気でクビになったけど失業給付金だってお前が全部使ったじゃないかッ」
「はぁ~あ…フンッ、わかったわよッ」
「だから何よ」と言わんばかりのふてぶてしい妻の態度に呆れた相棒は思う…
夫婦関係は随分前に終わったのかもしれない…
数日後、久しぶりに会う約束をしていたおねぇに相棒は管理費の滞納や請求書のこと、妻の態度などを話す。
「だから現金じゃなきゃダメなのよ。私、クレジット・カード1枚も持ってないわよ。あっ、それとね。遠藤さん...奥さんのこと愛してないでしょ」
「そんなことないよ」
妻への愛を肯定した相棒だったが…
何か違和感のようなものが心に残った。
妻はその後もマンションの管理費を滞納してゆく。
毎日のように「カネがないカネがない」と連発する妻にウンザリさせられる相棒ではあるが…息子の前ではけして母親の悪口を言わなかった。
相棒の妻は酒を飲めないのだが、おねぇはかなりの酒豪で、一緒に飲む酒はとても美味く、じつに楽しい。
醜悪な妻や日常から心が解放される相棒。そのおねぇの人間性や現金主義に自然と惹かれてゆく。
友情が少しずつ少しずつ心の奥で静かに確かな愛へと変化してゆく。
相棒とおねぇは、お互いの必要不可欠性を認識しあい、休日も頻繁に会うようになる。
他者からみれば現実逃避的不倫であっても、それは相棒の心を唯一救う貴重で短い時間。
そんな夫の行動に疑問を抱きはじめた管理費滞納問題と、いくつもの請求書に何の対処も家事もしない妻は、ついに相棒の携帯を調べ、おねぇの存在に気づく。
憤怒した妻は「その女を呼べ」と夫に命令。
そして…
ついに、おねぇと妻は二人きりで会った。
二人がいったい何を話したのか…その内容はわからなかったが、静かな話し合いだったよう。
「あなたの奥さんね…子供を育てるのに、いくらカネがかかるとか…ローンがどうだとか…おカネのことばかり言ってたわよ」
後日、そうおねぇから聞いた相棒。
妻の見栄っ張りな性格とカネへの執着の強さは知ってはいたが、それらがさらに強くなっていることを知る。
妻は相棒が失業中に「カネがない」と言うわりには自分の自家用国産車から「安いから」と、中古だが赤色の外車に買い換えていた。
それがきっかけとなり、過去の様々な出来事を分析した相棒は、妻に対する愛が既に無くなっていたことを自覚。
その瞬間から妻は、法律上「妻と呼ばれる他人」というだけの単なる共同生活者になった。
冷め切った夫婦生活ではあるが、家事をこなし働く相棒。
それはもう「妻と呼ばれる他人」のためではない。
父として息子との生活を守るため成すべきことを成すのみ。
やがて新しい年が明けた。
この頃から、妻と呼ばれる他人の非常に親切な女友達は街で相棒を見かけると彼女に即刻携帯電話で報告していたらしい…
だが…相棒にとって、もうそんなことはどうでもいい。
相変わらずポストには請求書が投函され続けてゆく…
マンションで合う管理組合員からは管理費滞納を厳しく注意される相棒。
その心は…
どんどんどんどん…
追い詰められゆく…
どんどんどんどん…
どんどんどんどん…
パニック障害を発症する2年前ぐらいのこと。
妻は夫である相棒に相談もせず、無理やり横車を押し通すようにオープンさせたバーを経営している。
妻を思い、毎日のように仕事帰りに店へと寄っては洗い物を済ませ掃除し、時には店のマスターとして客の相手を相棒はしていたのだが…
その店を妻は突然「閉める」と言って、どこかの会社に勤めはじめた。
家事をろくにせず、脱いだ服が山のように積み重なる布団が敷かれたままのホコリが積もった暗い部屋で、あぐらをかき背中を丸めながら咥えタバコでパソコン画面を見つめキーボードを叩く帰宅後の妻と呼ばれる他人。
喘息治療でマンション買って…
東京から引っ越してきて…
辛い仕事も歯を食いしばって…
店も手伝って…
パニック障害になって解雇されて…
そんな自分を可哀想に思う相棒。
どんどん…どんどん…
状況が悪化してゆく…
なぜか…それが当たり前のように思え…
何もかもが嫌になる…
人生に一定のサイクルがあるのなら…
事態が好転するのはいつだろう…
明日なのか…
来月なのか…
それとも…
もう二度と…
そういう時期が来ないのかもしれない…
ネガティブな考えが相棒の頭の中で日々ループしてゆく。
3月に入ると…
バイト先で人間関係のトラブルに巻き込まれ、ウンザリさせられる日々が続く相棒…
自覚のないまま…しだいに軽い鬱状態に陥ってゆく。