fuurow’s blog

散文的自叙伝

5.自我の崩壊

そんなある休日。

 

相棒は朝から何もやる気が起きず全身の脱力感を感じていた。

 

午後2時過ぎ。

気晴らしに、ふらっと車で出かける。

 

いつもと変わらぬ運転席から見える景色。

 

だが、何かが違う感じに思える。

 

心の底に比重の重たいドロドロとしたモヤモヤが湧いてくるのがわかる。

 

何かがおかしい…

 

そう感じる相棒の頭と心の中で何かが起こっている。


そのいやな感じを拭えず、次の信号でユーターンし自宅マンションに引き返す。

 

マンションの敷地に入ると、なぜかいつも車を停める場所には向かわず、外にある駐車スペースに車を停めた。

 

 

どうして、息子が待つ自宅に戻らないのだろうか…ということは…相棒の精神がかなり不安定な状態にあるのは確か。

 

 

車から降ると、人目につかないように車の陰に腰を下ろし、体育座りで膝を両腕で囲む。

 

両足の間から地面を見つめ、ぼんやり自問をはじめる相棒。

 

 

いったい…管理費の滞納って…なんだろう…

 

あの請求書ってなんだろう…

 

 

青空の下。

ひんやりとする風に吹かれながら心の中で呟く。

 

 

妻と言われるあの女は何だろう…

 

夫婦って何だろう…生活って何だろう…

 

仕事って何だろう…

 

カネってなんだろう…

 

人間ってなんだろう…

 

生きるって…何だろう…

 

じゃあ…オレって何だろう…

 

何のために苦痛に堪えて働いてきたんだろう…

 

それはいったい…何のため…

 

 

最後に心の中で相棒は...絶叫

 

 

オレは、いったい何だーッ

 

 

その時、相棒の心と肉体が完全に分離した。

 

その肉体を現実の世界に残し、暴走しはじめた相棒の心が暗い意識の中に吸い込まれるように落ちはじめる。

 

ただただ深く深く落ちてゆく。

 

ようやくその奈落の最下層に到達した相棒の意識がとらえたのは…

 

薄暗い空間…

部屋のようでもあり、無限に広がっているようにも思える…

 

肉体は無いのだが…

直立したたまま宙に浮いているような感覚はある…

何かの気配がして振り向くと…

丸みをおびた角の四角いブラウン管のようなものが目の前に浮かんでいる。

 

その画面に何かが映し出されてゆく。

 

どうやら人の顔のよう。

 

だんだんとはっきりしてゆく。

 

それはまるで線画で描かれたような感情を持たない能面のような…

 

自分の顔。

 

いったい…何なんだッ?

 

そう思った瞬間、足下から温度のない黒いタールのような液体がその水位を上げはじめた。

みるみるうちに腰まで水位を上げ、止まることなく胸に...

 

このまま頭まで浸かり死んでしまうかも…

 

もう、それでもいいと相棒は覚悟したが…

 

首元まできてようやく止まった。

 

不思議に息苦しさは感じない。

 

何も聞こえない仮想空間の中で映し出されている自分の顔を見つめる。

 

お前はいったいなんだ?

 

ん…いや…これは………

息子に対するオレの顔…か?

 

なぜかそう思い、画面に映し出された顔に問いかけると「正解だ」というように、見ている顔が額のアウトラインから剥がれはじめる。

 

薄いフイルムのように画面から剥がれてゆく皮の後ろに、異様な冷たさを持つ自分の顔が準備されているのがわかる。

 

皮が顎のほうまでベロリと剥げて落ちると黒い液体に沈んでいった。

 

じゃあ、これは誰だ?

妻への顔なのか?

 

その問いの答え合わせ…

顔の皮がさっきと同じように剥がれ落ち、その後ろには新しい顔が待っていた。


その顔に対する問いは、自分の父、母、妻の両親と続いたが、そのたびに剥がれ落ちては黒い液体に沈んでいった。


以前、勤めていた会社の人達や友人、そして思い出せるすべての個人に対する問いの答えも同じ結果に終わる。

 

次のお前は…

いったい…

いったい…お前は誰だ?

 

その問いに答えるように剥がれてゆく顔の後ろ…現れた顔には眼球が無い。

 

大きく開いた丸い二つ穴…

力なく少し開かれ口の中は真っ黒…

見慣れた自分の顔とは思えない。

 

ウワッ

 

その恐ろしさで相棒は力一杯目を閉じた。

 

あれが本当のオレの顔?

それ以外は全部誰かに対する偽りの顔…か?

それじゃあ…

今も…今日までのオレも全部ウソっぱちの偽りの顔で生きてきたっていうのか?

 

自分を疑いながら、そっと目を開ける。

 

顔は剥がれないまま画面とともにゆっくりと、その姿を消してゆく。

どうやら最後の顔。

相棒は完全に消え去るまで、その顔を見つめた。

 

一旦スイッチが切れたかような画面だが、新しい映像を映し出そうとしているのか、ぼんやりとだが再び少しずつ明るみをおびはじめる。

 

相棒は意識を集中させ必死にその映像を確かめようとする。

 

ようやくわかりはじめたその映像。

 

それは…

さっき出かけたときに自分が見た運転席からの景色。

 

「偽りの顔で生きてきた過去は、所詮偽りの記憶でしかない」

 

不意に投げ掛けられたその言葉。

 

暴走する心が己の記憶を否定しはじめる。

 

ゆっくりと目の前の映像が逆再生を開始。

 

相棒は抵抗できないまま、家族やおねぇ、バイト先、パニック障害で通った病院、以前の職場、息子の入学、卒園、入園を自分の目線でとらえ記憶してきた映像を見せられてゆく。

 

いつ頃から偽りの顔で生きはじめたのか…

もしかしたら突き止められるかもしれない…

 

そう相棒が思った瞬間、映像が引っかかるように止まった。

 

それは下品な化粧をした妻の顔。

 

あぁ…この時からオレは…

この女を愛していない…

 

そう自覚するのを待っていたかのように逆再生が再びはじまった。


父の死、息子の誕生、引っ越し、結婚式と、逆再生されてゆく。東京での製版会社、酒屋のアルバイト、ジョン・レノン暗殺、短かった高校生活、中学時代。

 

あぁ、待ってくれ…

もう、そこまで戻れば十分だろう…

 

自分の心のどこかに訴えるが映像は止まらない。

 

小学校時代、六年三組、クラスメートの顔、好きだった女の子の顔や笑い声、転校、小学校一年生の頃に住んでいた三軒茶屋、引っ越し、保育園時代。

 

そして、一枚の写真のような映像で止まった。

 

うわぁぁぁ!やめてくれ!止めやてくれ~ッ!

 

それは…

 

生まれたばかりの自分を優しく胸に抱き、嬉しそうに笑いながらこっちを見ている若き母タエ。

 

その存在自体をも否定するかのように映像が一瞬で消え、同時に相棒の自我が崩壊した。

 

 

空っぽの意識が車の横に腰を下ろしている肉体に戻る。

 

「すべては偽り」

 

その答えだけが漆黒の闇に覆われた心に何度も冷たく小さく響く。

 

耐え難い虚無感と、今までに感じたことのない喪失感からなのかボロボロと泣き出す相棒。


「ぐう、ぐう」と嗚咽を漏らし泣きながら両方の拳で地面を殴り続ける。

 

奥歯を強く噛み締めるせいで、何度も「 オェッ、グェッ」と、もよおす吐き気。

朝から何も食べていない胃からは胃液すら吐き出されず、引きつる腹筋が痙攣を起こしたように伸縮を繰り返す。

 

呼吸のタイミングがずれてシャックリのようになりながらも天を仰いでは泣き…

うな垂れては地面を殴りつけながら泣いて泣いて泣き続ける。

やがて宵闇が辺りを包みはじめた頃…

ようやく涙が枯れた。


疲れきった肉体…

空っぽの心…

半開きの口…

うなだれ…何も見ていない死人のような目...


座り込んだまま、瞬きもせず…

渇いた意識は闇に支配されたまま。

 

そんな相棒の心に突然、邪悪な炎が燃え上がった。

 

復讐だッ

そうだ復讐だッ

オレを追い込んだすべての人間に復讐してやる

 

激しい怒りと憎しみに満ちた純粋な復讐心が頭の中に映像を映し出す。

 

 

仁王立ちする我が身の前に跪いて侘びを入れ必死に命乞いをする人々が横一列に並んでいる。

 

その中には妻の顔もある。

 

その対象者一人一人の前に、それぞれが違う凶器を手にした我が身の分身達が立つ。

 

何かの合図が聞こえた。

 

自分を侮辱し、蔑み、そして排除してきた者達への復讐がはじまった。

 

ある者は日本刀で首を落とされ、頭がゴトッと地面に落ち目が合う。

 

ある者は両目をスプーンでえぐり取られた後に腹を切られ、自らの手で内臓をかき出して絶命。

 

ある者は手榴弾を口に咥え爆死し、当たり一面に己の肉片と血を飛び散らす。

 

またある者はチェーンソウで両手両足を切断され、猛獣の檻の中に放り込まれ生きながら食われてゆく。

 

その処刑のすべてが同時に行われ、分身達の顔や全身は対象者の返り血を浴び赤く染まり全員の処刑が終わった。

 

だがすぐに何かの合図。


すると一瞬で処刑前に戻った対象者達。

 

それぞろが、さっきと違う方法で処刑され醜い死にざまをさらしてゆく。

 

自我の崩壊と共に完全に理性を失った空っぽの心。相棒は、その意識内で残虐で凄惨な復讐劇を何度も繰り返してゆく。

 

けっして満たされない心に「実行」の二文字が浮かんだ。

 

その時、現実の世界で生きた死人のごとき相棒の口が開いた。