fuurow’s blog

散文的自叙伝

7.出来損ない人間

覚醒したもうひとつの意識「シゲル」のおかげで、かろうじて理性は保たれ最悪の結末を回避できたものの、自分の性格や物事に対する考え方や感じ方、概念や価値観という自分らしさも壊れてしまった相棒。

 

先ずは「息子を愛する者」としての父親という立場から、息子に対する人間関係を正常化するために不完全ではあるが5つのルールを決める。

 

ルール1 息子を怒鳴らない


ルール2 息子の前で母親の悪口を言わない


ルール3 息子に呼ばれたら必ず振り返り話しを聞く


ルール4 決して「疲れた」と言わない


ルール5 発作の予感がしたときは、酒を飲んでリラックスする

 

制定されてゆくルールの内容と順番のちぐはぐさは、現時点での相棒の頭と心の状態を察すると致し方ない。

 

ルール1とルール3は「人は常に相対する者と対等でなければならない」という相棒の思想的信念から制定。

息子誕生後に結成したロックバンド「50/50」の名の由来も、その信念から。

 

この信念も相棒が「息子を愛する者」と自覚した瞬間、心が脳にバックアップさせたのかもしれない。

 

その信念を基本に、息子にイヤな思いをさせないために、たとえ独り言だとしても「愚痴をこぼすな」と自分に言い聞かせるルール2とルール4が制定。

 

ルール2については、息子が母を恨まないようにと、その配慮から。

 

実際に相棒は日々息子に「あの人は、お父ちゃんとは他人だけど、あなたを産んでをくれた人なんだからね 」と話し、たとえ「家事をしない人」だとしても「実母」としての存在を尊重してきた。


ルール5は、得たいのしれない不安や恐怖を感じる時は、心にストレスがあるということ。

おそらく相棒は、無意識に「不安の先取り」をしたり「しなければならないこと」を自分に課せるのだろう。

単純に酒を飲むことで「今しなくても問題なし」と、ストレスと緊張感をゆるめ、無理を避け、心と体への負荷を回避、安定させるため。

 

しかし、相棒は酒に強い。

ビールや発泡酒なら350㎜缶を6本ぐらい飲んでも酔ったりしない。だが20代後半あたりから「アルコール依存なのかも」と少し自覚するようになっていた。

 

 

この依存も、もしかするとパニック障害発症と関連があるのかもしれない。

 

 

ある日を境に話しかけても「ええ」や「そうですね」程度しか答えなられなくなった相棒の姿は、バイト先の同僚達や関係者の大半を占める「表面上の仲良しごっこ」に終始する人々の目には、さぞ奇妙に映ったことだろう。

 

当然のようにバイト先では仲間外れ状態。

その状況下で働きながら「仕事とは何なのか」を心の中で模索し、シゲルの誘導的質問による修正がなされ、早い段階で答えを見出す。

 

「仕事とは、拘束時間内に与えられた作業に従事し、その報酬として生きてゆくために必要な金を得る手段。それ以上でも、それ以下でもない」

 

そう定義し、さらに付け加える

 

「職場とは、与えられた仕事をする場所。仲良しごっこをする場所ではない。仕事を円滑に進めるために人間関係を必要以上に取り繕うような表面上の付き合いや愛想は一切不要」

 

壊れた心を再構築するには様々なことを新しくはじめから定義し直さなければならない相棒。

 

いろいろなことに対し、定義付けすることで、できごとや物事に対する「どう行動すべきなのか」という判断基準が養われ、問題に直面した時、心が惑わされることが少なくなるのかもしれない。

 

おそらく、相棒は「生きてゆく」ため、本能的にこの作業をはじめたのだろう。

心の自律と再構築を促すと同時に、心的セルフケアも必要なのだから。

 

 

自我崩壊後、1ヶ月経った頃。


家庭と呼ぶにはあまりにも奇妙な生活の中、相棒はようやく自分の身に起きたことをおねぇに話せるようなった。


おねぇは不完全すぎる「出来損ない人間・遠藤」と、魂を交流させながら寄り添うように相棒の心を支えてゆく。

 

急ピッチで「定義付け作業」が進められ、まだまだ出来損ない人間ではあるが、安定したしゃべり方ができるようになり、なんとか日常生活に困らないほどにまでなった。

 

そんな日々の中、繰り返し行われる「もう一つの意識・シゲル」との対話で「息子を愛する者」以外にも「自分とは何者」の答えが、まだ他にもありそうに思うようになる。

 

それを必死に見出そうと、心の中を彷徨うが、残念なことに何の手がかりも掴めないまま、ただ悪戯に時間が過ぎていった。

 

ある日。

 

無関係である相棒を巻き込んでいたバイト先の人間関係のトラブルが「陰で悪口を言った、言わない」という当事者たちの口論から殴り合いに発展。

 

その数日後、当事者の片方が「会社を去る」ことになり一件落着。

 

傍観していた相棒は「所詮、仲良しごっこの成れの果て」と、その結末を見届けた4月、そのバイトを辞め就職活動を本格的に開始。

 

今どきの求職状況は、自動車製造関連工場に限らず、多くの企業が直接雇用を避け、派遣請負業社が求人の大半を占めるようになっていた。


この国の政治・経済状況の影響なのだろうか…

派遣請負業者の急成長は静岡県東部に留まらず、日本全国に広がる社会的現象のようで、求人情報誌をいくつ見ても正社員募集は少なく、パニック障害を発病した当時の職である土木関連の求人に目が止まることもしばしあった。

 

確かに、その仕事に必要な多くの資格を取得している相棒。

土木関連会社への就職は有利のように思えたのだが…

そこで働く自分の姿や光景をイメージするだけで胸の苦しさをおぼえ、発作に対する恐怖感から最終的に土木関連の仕事は対象外に。

 

また、トレード・マークであるロックな長髪と高校中退があだとなり、飲食関連や大きな企業の仕事もNG。

 

業種を絞らざるを得ない相棒は仕方なく、ある派遣会社の面接を受ける。

 

数日後、めでたくその派遣会社への採用が決まり、地元の自動車関連部品製造会社の工場に派遣され、入出庫を担当するフォークリフト・オペレータとして時給1125円で働くことになった。

 

初出勤の日、言葉少なに仕事を無事済ませ帰宅した相棒に、怒りのこもった言葉を浴びせる妻と呼ばれる他人。

 

 

「もっと、ましでちゃんとした会社に勤めなさいよッ」

 

 

すでに相棒にとって「存在しない者」てあり、かつ、世間で言うところの「妻と呼ばれる他人」の言葉は、もう二度と耳には入らない。

 

とにかく、息子を育て、今を、そして今日を生きぬき、働き稼ぐのみ。

 

 

中途な採用日からの出勤で5月の給料は6万円程度だったが、サラ金への支払いは残してあった小遣いでなんとか間に合わすことができると計算した相棒は、その給料全額を妻と呼ばれる他人に渡したが、彼女が不満で醜く歪ませた表情をいつまでも浮かべていることは見ないでもわかった。

 

翌月のある日。

 

仕事を終え帰宅した相棒。

 

「ただいま」と息子に声をかける。

 

ふと見たテーブルの上に1枚のメモ。

手に取ると…

 

 

もう一緒に暮らせない

 

 

そう書かれている。

 

妻と呼ばれる他人が残した書き置き。

 

どうやら、彼女は息子を置き去りにしてマンションから出て行ったらしい。