8.離婚…そして、その産物
妻の勝手極まる行動に動じることなく息子に事実を伝える相棒。
「いいかい、今日から二人きりだが心配要らない。あなたの母がいなくても今まで通り。何も変わらない。でもな…父ちゃんと暮らすも、お母さんと暮らすも、あなたの自由。お母さんと暮らすかい?」
子どもとは親のことを冷静に観察しているのだろう。
静かにそう話し、質問する、以前とは明らかに違う口調の父に「あの人とは無理無理ッ」と即答する息子。
母と呼んでいた人とは暮らせないと判断。
確かに家事全般をこなしていたのは父なのだから。
「そうか。それでは今日から、あなたと父ちゃんの二人暮らしだ。とにかく…ぼちぼち行こう」
わずらわしい共同生活者がいなくなったことで、父親としての相棒の心は更に強固なものとなった。
その数日後、正式に離婚。
金銭を管理していた共同生活者が金を置いていくはずもなく、すぐに生活費も底をつく。
これくらいならまだ返せるだろう…と、サラ金に限度額の引き上げを頼み、3万円借りて電気代と食費に当てる。
翌月になると自分の借金返済、学校の給食費、電気水道ガス代を支払うと食費がどうしても足りない。
もう、青森の母タエに電話で頼むしかない。
「そんなわけで…母さん…20万…貸してもらえませんか…」
「あっそ…いいわ、でも、私の孫のために使いなさい。応援はします。じゃあね」
なんとも申し訳ない思いで胸が詰まり一人泣く相棒。
母タエのおかげで、ひとまず難を逃れられたが、工場勤務の給料だけでは補えない支払いの不足分をアルバイトで稼ぎ出すしかない。
音楽活動などもってのほか、論外。せっかくいただいたライブハウスからの出演依頼も断らざるを得ない。
相棒が離婚を想定していたわけではないが…
息子が2歳の頃、何かのきっかけで危険部物乙四の資格を取得していた。
それが幸いし近所のガソリンスタンドでアルバイトをはじめる。
本業の工場勤務は交代制で早出残業と土日の勤務が割り当てられている。
残業のない平日の夕方5時30分から夜8時までの2時間半と、出勤しない土日の8時間をバイトのシフトに組んでもらう。
休みは1ヶ月に1日有るか無いか。
でも休みなどどうでもいい。
もし休みがあるなら息子と、そしておねぇと過ごしたい。
バイト先で自分より遥かに年下の10代の子供達にバカにされ顎で使われながらも、息子とおねぇと一緒に過ごせる休日を目指す。
それが相棒の心と肉体を支える。辛くても苦しくても過ぎてゆくうちに、それが当たり前になる。
そんなある日の夕方。自宅の電話が鳴った。
それは…
信販会社からの支払請求。
身に覚えのない相棒だったが、契約書には本人のサインと判が押されていると電話の向こうにいる男が言い終えたその時。
「このカードねぇ、サービスいっぱいで、とってもおトクなのよ~」
それは、突然思い出された元妻の顔と台詞。
そういえば酒に酔っていたあの夜…
信販会社の契約書を見せられ…て…
何も考えずに言われた通り書類にサインして…ハンコ押したようなぁ~…
ん!?…ハッ、やばいッ…一度だけじゃないぞッ
そんな過去を思い出した相棒に電話の男は「月々1万円ずつ振り込んでくれれば裁判沙汰にはしない」と交渉を持ちかけてきた。
その話の内容から受けるストレスのせいで発作の嫌な予感が胸の奥に黒く滲んでくるのがわかる相棒なのだが、確かに「契約書にサインし判を押したのは自分なのだから」と渋々了承。
この1本の電話。
それは自らが主演する醜悪なロック・オペラ開演の合図。
給料のほとんどを妻に渡していた相棒は銀行の通帳と印鑑の保管場所を知らない。
当然ながら複数あるであろう通帳から引き落とされる生活費以外の「月々の支払い」自体が未知の世界。
その演舞はゆっくりと加速しながらそのいやらしい艶やかさを増してゆく。
数日後、また自宅の電話が鳴った。
今度はどこかの信用金庫からで、妻が乗っていた外車の支払いが滞っていると電話の男に告げられる。
「いや、それはオレの車じゃない」
そう反論する相棒に「契約書に本人のサインと判が押してある」と電話の男が冷たく言う。
他にも借金があることをその男に告げ、「月々可能な限りの額を返済していく」と約束し電話を切った。
自分の借金返済以外に表面化した身に覚えのない借金の支払いに愕然とし途方に暮れる相棒だったが、すぐに気持ちを切り替え現状を整理し考えをまとめてゆく。
これが、自分が「何者」なのかを知っている者の強さなのかもしれない。
そうだ…まだ自分の知らない自動引き落としが他にもあるかもしれないぞ…
そう思った相棒、この月の給料日から昼休みに食事も取らず銀行に行き全額引き出すようになった。
二度の非情で親切丁寧な返済要求のおかげで、電話が鳴るたびに胸の圧迫感を覚え軽い発作を起こす。
相棒は完璧な電話恐怖症になってしまった。そして、追い討ちをかけるような自分名義の軽めな借金が次々と発覚してゆく。
それでも「息子を愛する者」の心はブレることなく、追われるような日々を駆け抜けてゆく相棒なのだが、やはりその心は同僚達の仲良しごっこが織り成す下ネタや噂といった井戸端会議的な会話を受け入れることができない。
その場にいるだけで心のどこかが腐っていくように感じる。
何か良い方法はないだろうか…
ほんの少しでも明日に向かう希望が欲しい…
そうだ、夏にちょうど咲くように
と、相棒はベランダで向日葵の栽培をはじめる。